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唐組第76回公演『盲導犬』をめぐる考察

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唐組第76回公演『盲導犬』をめぐる考察

 こんにちは。ガクコエ!編集長の織田です。アングラ演劇の旗手として知られ、アングラ四天王2とも称される唐十郎3の劇団唐組(通称「紅テント」)の今年の秋公演の題目が『盲導犬』と発表されましたね。
 実は私、昨年の青山フランス文学会会報第32号の編集委員を務めておりまして、そこで拙筆ながら「唐十郎によるアダプテーション」という題で唐十郎の著作『盲導犬』『唐版犬狼都市』についてのエッセイを寄稿させていただきました。
 まさか、今年のその『盲導犬』を唐組で観られるとは。とても楽しみです。そこで、今回は会報第32号の寄稿の一部をお見せします!

1.「アンダーグラウンド(地下)演劇」の略で、日本で1960年代頃より始まった舞台表現の潮流。その根底には反体制運動や反商業主義の思想があり、既存の演劇の枠組みに囚われない実験的・前衛的な演劇が多く見られる。
2.「状況劇場」の唐十郎、演劇実験室「天井桟敷」の寺山修司、「早稲田小劇場」の鈴木忠志、「黒テント」の佐藤信。 ↩︎
3.現代演劇に革命的な衝撃を与えた唐十郎が状況劇場を解散後、旗揚げした劇団。毎年春と秋に紅いテントでのテント公演を主に新宿・花園神社や雑司ヶ谷・鬼子母神で行う。

今年の春公演を花園神社で観た際の写真

※一部ネタバレあり

1)澁澤龍彥との関係

サドをはじめとする当時異端とされていた文化や芸術を、古今東西に通ずる圧倒的な知識をもって日本に輸入したフランス文学者・澁澤龍彥4は、マンディアルグの『ダイヤモンド』を下敷きに、エジプト神話を改竄した一種の貴種流離譚である『犬狼都市(キュノポリス)』を書いた。この作品から想を得て、唐十郎は『盲導犬』を作った。そしてその後『唐版犬狼都市』を書いたのである。

4.かの三島由紀夫をして「この人がいなかったら、日本はどんなに淋しい国になるだろう」「もし現代日本に澁澤龍彥氏がいなかったと仮定したら、どんなに日本はつまらなくなるだろう、ということだった。そういうことを感じさせる人はあんまりいない」と言わしめた異端のフランス文学者である。
5.フランスの小説家。『燠火』、『余白の街』などの作品を発表し、長く華麗な文体で耽美と暴力とエロスを描く作家として人気。三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』をフランス語訳したことでも知られる。

ⅰ)澁澤龍彥『犬狼都市(キュノポリス)』

『犬狼都市(キュノポリス)』はファキイル(断食僧)と名付けられた北アメリカ産のコヨーテと世界的名声のある魚類学の第一人者を父にもつ少女がダイヤモンドの中の世界で濃密に交わる話である。ファキイルの先祖オシリスの男根を食い意地の張ったナイルの鱗魚オクシリンコスが貪り食ったことを発端とし、奸智に長けた魚族が人間や神々を味方につけ犬狼の種族を世界から締め出してしまったという犬狼の種族と魚族の因縁がその背景として描かれている。

ⅱ)唐十郎『盲導犬』

一方、唐十郎の『盲導犬』は新宿の地下、コインロッカーが並ぶ一角での話である。フーテン6の少年が盲人・影破里夫(えい はりお)と知り合い、不服従の伝説の盲導犬ファキイルを探すことになり、その最中、唯一開かない330番のロッカーにしがみつく奥尻銀杏と出会う。そして彼ら三人は銀杏の初恋の男タダハルと再会し、銀杏とタダハルが互いの思いをぶつけあった末、抱き合う中、バンコクで愛人に撃たれたはずの銀杏の夫が血まみれの状態で現れる。嫌がる銀杏に盲導犬に着ける胴輪を当て込み、胴輪を付けられた銀杏が盲導犬として破里夫の案内人となる。そして終盤、開かずの330番のロッカーから飛び出してきたファキイルが銀杏の、のど笛をかみ切って話が終わる。
(ちなみにフランス文学科らしく余計な補足をすると、当時の日本の小劇場演劇に大きな影響を与えたベケットの『ゴドーを待ちながら』のゴドーの面影がファキイルにはある。)

6.定職や定住する場所を持たず、風のようにぶらぶらと暮す人を指し、60年代に新宿に集まったヒッピー風の若者たちを指す俗称として広まった。

ⅲ)2作品の関係性

『盲導犬』は副題として「澁澤龍彥『犬狼都市』より」と付くだけあって、奥尻銀杏の「お父さんが魚の学者だったのでオクシリンコスをとって奥尻にしたの」というセリフのように『犬狼都市』の様々な設定が踏まえられている。次の破里夫の歌もそうである。

 〽 何故 そんな顔をするのか
  俺のファキイル
  何故 そんなに影を憎むのか
  俺の犬
  ここは魚の都
  お前の遠い先祖がつくったミイラの国だ
   ああ いくつかの太陽を喰ってしまった
  なまぐさき都
  忘れるんだファキイル
  勝ち目はない

 これは澁澤龍彥『犬狼都市』の犬狼の種族が魚族に追いやられたという設定が反映されている。不服従の盲導犬ファキイルは魚の国と敵対する存在であるという関係性が踏まえられており、だからこそ最後に銀杏の喉笛をかみ切るのである。後日譚的に『犬狼都市』のファキイルが『盲導犬』にも登場しているのである。

2)『盲導犬』と『唐版犬狼都市』

ⅰ)唐十郎『唐版犬狼都市』

他方で、同じく澁澤龍彥『犬狼都市』から想を得て書かれた『唐版犬狼都市』は恋人のクツカケ時夫を地下鉄工事で失い、野良犬のように東京をさまようメッキーと保健所のしがない飼育相談係で同僚からは馬鹿扱いされている田口保がクツカケ時夫の飼っていた愛犬、ものをいう不思議な犬ファラダを探し求めて、ファラダの原故郷であるらしい、東京の大田区の地下に広がる「犬田区」へと向かう話である。

ⅱ)2作品の関係性

『唐版犬狼都市』ではしゃべる犬ファラダが登場するが『盲導犬』のファキイルは登場しない。澁澤龍彥氏が『観念の動物園「唐版犬狼都市」のために』で、唐十郎に犬狼都市を押し込み強盗されたと書いているように、犬狼都市そのものが登場しているのだ。『盲導犬』ではファキイルを、『唐版犬狼都市』では犬狼都市そのものを登場させている。
 ちなみにこのしゃべる犬ファラダとはグリム童話の『ガチョウ番の女』に出てくる、もの言う馬ファラダを元ネタにしていると考えられる。大田区を通る地下鉄といえば「馬込」であることも鑑みると、唐十郎は見事に馬を犬に取り換えたわけだ。

3)まとめ

さて、ここまで原作とアダプテーションの関係という観点で澁澤龍彥『犬狼都市』と唐十郎の『盲導犬』『唐版犬狼都市』を比べてみたが、澁澤龍彥以外にも唐十郎がアダプテーションしたものとして『唐版風の又三郎』や『唐版滝の白糸』がある。それぞれ宮沢賢治の『風の又三郎』と泉鏡花の『義血侠欠血』を下敷きにした作品であるが、やはり『盲導犬』や『唐版犬狼都市』と同様にただの脚色やパロディではなく、唐十郎の純然たる傑作となっている。

いかがでしたでしょうか。まさか会報32号で書いた『盲導犬』が今年の演目になるとは思はず、とても驚いています。気になった方はぜひ、唐組ホームページをチェックして、観に行ってみてください!

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